(2011.8.6)モチーフサーキット@関大リサーチアトリエ

■ TJWKアカデミアモチーフサーキット
日時2011.8.6
場所関大リサーチアトリエ(天神橋筋商店街)
講演「希望を紡ぐ – 小さな世界の弱い繋がり」
与謝野有紀先生(関西大学社会学部教授・関西大学社会的信頼システム創生センター長)

今回のモチーフ・サーキット@関西大学リサーチアトリエでは、
56人の方が参加され、この会場で編まれたモチーフは、192枚でした。
もう、毎度のことながら、すごい数字です。
ご持参いただいたモチーフは、なんと785枚
今回は、関西大学リサーチアトリエさんの計らいで、奈良県葛城市から蓮花ちゃんも参加してくれました!
蓮花ちゃんは、なんと!趣味が、琴演奏と手編みなのですね☆ 中将姫伝説に彩られた蓮花ちゃんは、なんと當麻寺の當麻曼荼羅を編んだという言い伝えがありますからねっ!
神社仏閣マニアの僕は、深くにもじつはまだ當麻寺には行ったことがなくて、せっかく蓮花ちゃんとも仲よくなれたことだし、ぜひ、當麻寺には訪れたいもんです。

「希望を紡ぐ – 小さな世界の弱い繋がり」
与謝野有紀先生(関西大学社会学部教授・関西大学社会的信頼システム創生センター長)

お話は、北米大陸の地図からはじまります。
中西部にあるまち、カンザス州のウィチタ、ネブラスカ州のネブラスカ、そして東海岸のマサチューセッツ州のボストンがマーキングされています。中西部のウィチタやネブラスカと東海岸のボストンは、3、4000kmほど離れています。

「希望を紡ぐ - 小さな世界の弱い繋がり」

あるとき、ウィチタやネブラスカからボストンに向けて手紙を出すという実験が行なわれたのでした。
ボストンの見知らぬ人、誰でもいいのですが、任意のある人に、人の手を介して手紙を届けるというものです。
ボストンのその人と直接の知り合いなら、その人に直接手紙を手渡すことで、この実験は終了します。
でも、知り合いでなければ、知っていそうな誰かに手紙を託し、その人からまた誰か近そうな人に手紙を託し、と、人を仲介し、何人くらいの仲介が入ると手紙は届くのか、という実験です。
100人? 70人? いやいやもっと少なくて30人?

これね、結果は、平均に近い数字だと、5人なのだそうです。
距離をひろげればまた違った結果が出るだろうし、数学的にはまだまだ議論の余地があるとのことだけれども、5人という数字が象徴しているように、とても大きなこの世界も、僕たちがつながると、手の届く小さな世界にすることができる、ということです。

極端な例でいうと、僕がまったく縁もゆかりもないオバマ大統領に手紙を届けたいとしたら、5人か6人、それに近い数字の仲介者がいれば届く、ということです。

これを、「スモールワールド」と呼びます。
おさらいすると、
僕たちがつながることは、この大きな世界を手の届く小さな世界に変える力を持っている、ということです。
これが、つながりの力。僕たちが持っている能力です。
普段は意識しないけれども、僕たちは、どうやら、つながることで距離を簡単に超えることができるようなのですね。

では、そのための「つながり」とは、いったいどんなつながりが大切なんだろうか?

いつも一緒にいる、とても仲のいい、自分といろいろなところが似ているような人たち。
このようなつながりは、もちろん大切。

今回のTJWKでも、スーパーニッター・プロ集団のfunknit軍団のような人たちがいて、そのパワーたるやすごいです。
こういう人たちのつながりは、もちろん大切です。
この強いつながりは、人々の生活の基盤として、とても大切です。
でも、あまりにも似すぎていて、新しいものと出会っていく機会は、あまり多くありません。

一方で、あまり深く知っているわけではないけれども、どこか信頼を寄せることができるんじゃないか、というつながりがあります。ときには、そういうつながりが大切になってくることがあります。
このつながりは、「弱いつながり – weak tie」と言います。自分と異なる考えや情報、資源を持った人たちと繋がる可能性を持ったつながりです。

「希望を紡ぐ - 小さな世界の弱い繋がり」

与謝野先生は、このようにおっしゃっていました。
若いころはずいぶんと鍛えられたけれども、どこで教わったのかというと、教員から教わること以上に、飲み屋のマスターや隣に座ったおじさんから教わること、もう二度と会わないかもしれない人たちだけれどもそのときちょっと触れ合う人、そういう人たちの情報って、とっても大切だった、と。

このようなことは、「strongs of weak tie」、つまり、弱い紐帯の強さと呼ばれていて、弱いつながりと思われているものはじつはいろんなものをつないでいく力が強い、ということが、社会科学では言われているそうです。

人々のあいだを橋渡しし、自分の世界をひろげていくという点で、「弱いつながり」はとても大切です。
もちろん、「弱いつながり」といっても、相互にある程度の信頼関係があり、また「どのつながりが一番今大切なのか」を見極める力は、大切です。
だから、誰とつながってもいいわけではないです。
そして、この、TJWKというプロジェクトは、じつは、そういうつながりでできているものだと、先生はおっしゃってくれました。

そして、
多くの人が、「見知らぬ誰かの力になりたい」「でも、どうやったらそれができるのかわからない」と考えているとき、人々の「弱いつながり」は、社会に新しい力とチャンスを与えます。

ところで、与謝野先生の子育て論は、こうです。
そこそこキチンと育ったなら、
まずは、他人に迷惑をかけずに自分で立つこと。
2番目は、大切な人や愛する人の助けになること。
もっと能力があるのなら、見知らぬ誰かの助けになること。
おそらく、人間にとってはそれが重要だと、与謝野先生は考えておられます。

最後の、見知らぬ誰かの助け。
今、ここに集まっているTJWKに参加された方は、まったく会ったこともない、見知らぬ誰かのためになにかちょっとでもしたいと思う人たちの集まりです。こういう人たちの集まりは「弱いつながり」であっても「強い力」を持つ、と、与謝野先生はおっしゃいます。
おカネや大きな権力を持たずとも、弱いつながりを集めることで強い力を持つことができる、と。

次に、弱いつながりの強さの実例を、示していただきました。

たとえば、地域活性化でよく言われるキーワードは、「ばかもの、よそもの、わかもの」です。
「よそもの」は、地域と地域をつなぐ橋渡しのできる人です。
「わかもの」は、経験は浅いかもしれないけれども、いろんな積極性があってつながることのできる人です。

実例としてあげていただいたのは、兵庫県丹波市にある関大の佐治スタジオです。
こんなところです。

http://sajiaogaki.exblog.jp/

古民家を改装するということをやっています。
人口がどんどん減っていって一度は元気がなくなったまちを元気にしようという活動です。すでに5年間取り組んでいます。
わかもの、つまり関大の学生がどんどん行って、地元のお祭りに参加したり、古民家を自分たちで改装したりします。
出町さんという方は、ここに30年住むつもりで頑張っておられます。そうやって取り組むうちに、地域の人たちが、じつは自分たちのまちはおもしろいんじゃないか?と思うようになったのだそうです。
出町さんのような、愛すべき「ばかもの」、そして関大生の「わかもの」がいて、このプロジェクトは成功例のひとつに数えることができる、と。
でも、これは関大と丹波という遠くにあるもの同士がつながった、そのつながりの橋渡しが大きかった、と。

大きな世界も、弱いつながりで小さな手の届く世界にすることが、できます。

少ししか知らないし、自分と「年齢」も「住んでいる場所」も「職業」も「学校」も違うけれども、つながりのできた人たちー。

ここ関西大学リサーチアトリエで行なわれた第1回目のモチーフ・サーキットの写真を見ると、みんな素敵な顔をしていました。
関大の男子学生は、もう少し年齢の高い女性の方に、ほんとにデキの悪い子供たちや!と散々に叱られながら、でも楽しそうに編みかたを教わっていました。
最後、その女性は、そのときのゲスト・スピーカーだった草郷先生をつかまえて、30分間も、若い人たちがどれだけ編めるようになったかということを自慢げに話してくれたのでした。これって、すごく嬉しいことですよね。
そしてこれは、ほとんど名前も知らないような弱いつながりだけれども、信頼できるちょっとしたつながりです。その女性たちは、男子学生に教えてもなんの得にもならないけれども、それが嬉しいということは、とても人間らしくて素敵ですよね。

この、弱くて、日々の暮らしでは思い出すことも少ないようなつながりが、希望を紡ぐことがあります。
与謝野先生は、そんなふうに考えておられます。
数学的にはいろいろとややこしい議論があるのだそうだけれども、それはべつとして、いくつかの研究はそのことを明らかにしつつあるし、その実例も、紹介していただけたのでした。

小さな世界の弱いつながりは、大きな世界を手の届く小さな世界に変える力を持っていて、そのことは、お金ではできないことを可能にする力を持っています。

たとえば、天神橋筋商店街の南森町の交差点の角に、りそな銀行のショーウィンドウがあります。そのショーウィンドウの前には放置自転車がぎっしりと停められていて、ショーウィンドウも全然使われていませんでした。

その場所で取り組まれたことを紹介していただきました。
北区役所やりそな銀行の方、北区の職人さん、コーディネートしてくれる方をつなぐだけで、ショーウィンドウは提灯の展示に生まれ変わり、そのおかげでウィンドウ前の放置自転車も減り、素敵なものが生まれました。関大は、人々をつなぐことだけをお手伝いしただけだと、与謝野先生はおっしゃります。ほとんどおカネをかけていない、とも。社会のためにおもしろいことやりたいという、そういう思いを寄せ合って、こんなチャーミングなものが生まれました。

次の実例は、大阪天満宮の境内で地下水を掘っている取り組みです。このあたりは良質な地下水が流れている場所で、かつては135軒もの造り酒屋が軒を連ねていました。これを再生しよう!ということで、大学と天満宮と地域が連携して、水を軸に地域をつなごうという試みです。これも、そんなにおカネをかけていないけれども、おそらく、ケタの違う効果をもたらすことになりそうです。でも、最初は、それぞれの思いと知識をつなげてはじまったことです。

与謝野先生は、さらに実例を挙げてくださいました。
その成功例として、僕たちの、Think Of JAPAN While Knittingを。
・モチーフ・サーキット
・ブランケット・ミーティング
・セール&オークション
・「あしなが育英会」
という、プロジェクトのそれぞれのステップとともに、太平洋を挟んだ世界地図が示され、発端となったカナダ・トロント在住の新田さんと日本のatricotさんが、線で結ばれています。
ここで使われたatricotさんのチャーミングな写真のチョイスに与謝野先生のドSぶりが発揮されているのだけれども、それは余談として(笑)

「希望を紡ぐ - 小さな世界の弱い繋がり」

再び、相関図が示されます。
新田さんがいて、そこから伸びた線の先には、atricotさんがいます。地域活性化の登場人物でいうところの、「わかもの」です。
atricotさんからは、何本もの線が放射線状に伸びていて、その多くはニッターのみなさんです。
そして、その線のなかのひとつは、僕につながっています。
僕はハートを持った、たくさんのネットワークを持った人として紹介されていて(笑)、これまたたくさんの線が僕を中心に放射線状に伸びていて、そのなかのひとつは、Ust配信を担当してくださったナミハヤノーツさんとつながっています。
さらにもうひとつの線は、与謝野先生につながっています。
さて、僕と与謝野先生は…、そう、与謝野先生にとっての僕は、少なくとも家にいてお酒を飲んでいるときに顔を思い浮かべるなんてことはまったくないという存在、つながりです。これは、きっと、正しく、その通りです。さらにいえば、与謝野先生は僕の大部分をご存じないだろうし、僕もまた、与謝野先生の一端をかろうじて存じ上げている、という程度です。それほど、両者のつながりは弱いものです。
与謝野先生からももちろんたくさんのつながりが放射線状に伸びていて、そのなかのひとつには、最初のモチーフ・サーキットでゲスト・スピーカーとしてお話ししていただいた草郷孝好孝先生がいらっしゃいます。

さらに、このたびは、関西大学のオープン・キャンパスにて、完成したブランケットの展示とTJWKの概要をPRする場を提供していただくことができました。
そこには、高校生やその親御さんを含めて、15,000人もの人が来られます。そういう場所でブランケットを見てもらうことで、また弱いつながりが生まれます。

この相関図を俯瞰していて思うのは、僕とatricotさんの関係はともかくとして、それ以外のすべてのつながりは、じつに弱いつながりで成り立っている、ということです。
少なくとも、いつも一緒にいる、とても仲のいい、自分といろいろなところが似ている、生活の基盤にあるようなつながり、ではない。それでも、その「弱いつながり」は、どこか信頼を寄せることができるつながりです。
もちろん、この弱いつながりには、TJWKに参加してくださったたくさんの人たちも含まれていて、じつにたくさんの、無数といっていいほどの「弱いつながり」が生まれています。

でも、この「弱いつながり」が、現実に10,000枚を超えるモチーフを編み、強い力を生み出しました。
与謝野先生は、そのように、評価してくださったのでした。
その力は、必ずおカネになって、具体的に、東北の見知らぬ人たちの力になっていく、とも。

最後にスクリーンに写しだされたものは、津波に襲われて根こそぎまちが破壊された、悲しい風景の写真です。
そこに、僕たちのモチーフやブランケットの写真が重ねられたのでした。
僕たちのTJWKは、弱いつながりによって大きな世界を手の届く小さな世界に変え、希望を紡ぐ力になる、と、エールを送ってくださったのでした。

冒頭に紹介された、「スモールワールド」の概念は、理論や研究、手紙を送るといった実験があるばかりで、実践された例は少ないのだそうです。でも、TJWKはいい実例になっている、と。

個人としても、人間としても、研究者としても、非常な興味と歓びを持ってこれからもかかわっていきたい、と、最後に、与謝野先生はおっしゃってくれたのでした。

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