(2012.9.12)モチーフサーキット@大阪市北区社会福祉協議会

■ TJWKアカデミアモチーフサーキット
日時2012.9.12
場所大阪市北区社会福祉協議会(大阪市)
ゲスト森松明希子さん「2012年 被災者の今」

北区社協さんは、TJWKを立ち上げた最初の段階でお声かけさせていただいたところです。
なんの資源も権限も持たないTJWKが活動を広めていくとき、活動の主旨を理解していただき、協力していただけるところがなければ、今のようなひろがりを持つことはできませんでした。
北区社協さんには、そうしたご理解とご協力を惜しみなく提供していただいていて、イベントの告知から集客、会場の提供からスタッフの提供、イベント製作の際のこまごまとした心配りまで、ほんとにね、もう、隅々まで協力してくれはります。TJWKの重要なパートナーです。

今回も、そんな北区社協さんのおかげで、素敵な素敵なイベントとなりました。

森松明希子さん
「2012年 被災者の今」

今回は、福島在住の方で、震災後、大阪に疎開しておられる森松明希子さんをお招きして、「被災者の今」と題して、被災直後の状況や現状をお話していただきました。

ごくごく一部だけど、要約してみます。

森松さんは、現在、ご主人と、4歳4ヶ月の息子さん、1歳8ヶ月の娘さんの4人家族です。
福島県郡山市在住で、被災され、昨年のGW明けにお子さんとともに大阪に避難してこられました。
ご主人は仕事のため、お一人で福島に残られています。

震災が起こったとき、森松さんのご主人は仙台へ出張中、息子さんは幼稚園へという状況で、森松さんと当時生後5ヶ月の娘さんだけがご自宅におられたそうです。
幸い、そこではケガはなく、右往左往したけれども、夜には家族4人が無事に再会を果たすことができたとのことです。
もちろんそれまでには大変な思いをされていて、ひとつだけ紹介すると…。
自宅マンションの給水タンクが地震で壊れ、天井からも床からも水が浸入してくる状態(全部屋で水深10~15cm!)となり、また震度4クラスの余震も続き、家から脱出する決意をされたのですね。
でも、娘さんはまだ5ヶ月。おんぶヒモは、首が据わる生後6ヶ月頃から使用できるもので、首が据わっていることを祈りつつ、一か八かで娘さんを背負って、マンションの8階から階段を下りたのだそうです。

ご家族全員が無事だったとはいえ、そのような困難で悲惨な体験を数えきれないほど重ね、避難所生活も経験し、森松さん一家は、ご自宅と家財道具のすべてを失いました。
さらに、震災直後の原発事故による放射能汚染が深刻で、やむをえず、家族がバラバラになってしまう福島と大阪の二重生活の道を選ばれました。それが、昨年の5月のことです。

幼いお子さんたちの健康を考えて決意された二重生活だけれども、それは想像していた以上にしんどいものだと、森松さんはおっしゃいます。
まず、福島と大阪の二つの世帯の生活維持、ご主人が大阪の森松さん母子に会いにこられる交通費など、経済的な負担が家計を圧迫します。しかも、森松さん家族が住んでいた福島県郡山市のご自宅は、原発から60km離れていることで避難勧告や避難指示が出た地域ではありません。なので、避難したからといって、国や自治体からの援助は一切ありません。

それでも郡山市では、かなり除染した場所ですら、放射能測定器の示す値は目を覆いたくなるような数値なのだそうです。
いっそ、妊婦や乳幼児のいる家庭だけでも避難退去命令を出してくれたらいいのに、と、何度思ったかしれない、とのことです。
汚染地域から瓦礫を運び出すことも大切だけれども、将来のある子どもたちや人をこそ運び出すべきだと、森松さんは痛切に感じておられます。

ご主人は、月に一度、お子さんたちに会えればいいほうなのだそうです。それすらも叶わないときも、あります。
通常の単身赴任と決定的に違うのは、いつまで、という任期があるわけでなく、先がまったく見えないことです。
長期にわたってこの生活が続くことを考えると、お子さんの精神面が心配です。そして、口にこそされなかったけれども、お子さんたちだけでなく、森松さんやご主人の心の健康も。
生後5ヶ月だった娘さんは、ほぼお父さんを知らないままに育ってしまっています。
そのお父さんは、月に一度、700km以上離れた大阪まで一人で車を運転されて高速道路を飛ばしてやって来られ、束の間、ご家族の顔を見、24時間も滞在できずに再び車を走らせて戻っていかれます。

福島に残れば目に見えない放射能の恐怖に怯え、大阪に来れば、不安定な生活と家族バラバラの日常を強いられ…、震災以降、今もって、ご家族全員、心も身体も休まるところがない状態です。

福島では、夏でも朝晩は涼しいし、日中も風が通るので、エアコンを入れることは稀だったそうです。
それが大阪だと、夏でも冬でもエアコン+空気清浄機という生活に一変します。
こうした、当人にとってはあたりまえだった生活のちょっとしたことが一変し、ちょっとしたことでも積もれば、それはストレスになりますね。
しんどいことだと思います。

逆に、大阪に来られてよかったと思えることも、少しは持っていただいているようです。
ボランティアの方たちが、夏に、キャンプに連れていってくれたり。
引っ越しを手伝ってくださる方がいて、その間、赤ちゃんの面倒を見てくださる方がいて、また、被災者や避難者の方たちの交流会に参加する機会があったり…、少しでも大阪での生活がよいものになり、森松さんご家族全員の生活が再建できるよう、そのお手伝いをしている方たちと触れ合えている。その事実は、僕たちの心を少しは和ませてくれるものでもありますね。

僕たちがやっていることも、ほんの少しでもいいから、ホッとしていただけるものであったならいいな、と、少しだけ思いました。
なによりも、実際に被災された方の生の声は、関西で生活していると、なかなか耳にする機会はありません。僕たちが支援しようとしている人たちはこういう人なんだ!と、具体的に知ることができた、貴重な機会でした。

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